写真をやめないためにTwitterやめる
始めたばかりですがTwitterやめます。他人と自分を比べてはりきるよりも落ち込みがちな自分には完全に向いていませんでした……。
人気の写真系アカウント(人気なだけでなく私自身も好きだと思ったアカウント)をいくつかフォローして、TLに常に素敵な写真が流れてくる状態を作ったんですけども……。そうするともう、自分の写真がどんどんくだらないものに思えてきてしまったんですね。
そりゃ自分の写真がうまいなんて思ったことはありません。技術的に稚拙なのはわかっているつもりです。私にとって、写真は仕事でもなければ高みを目指す「写真道」みたいなものでもなく、「撮るのが楽しいから撮る、撮ったからにはネットに上げてみようか」程度の気楽な趣味です。(そして、そんな写真が大勢の人に評価されるわけがないこともさすがに理解しています)
ですから、自分の写真が下手なのはわかっているんですが、それでも撮った時の記憶含めて思い入れはあるし、うまくないけど自分では好きなんですよ。
Twitterという、評価が完全に可視化され、たくさんの評価を集めている「いい写真」が無限にと言っていいほど流れてくる場では、そんなささやかな自己満足を維持するのは無理でした。
例えば、私は差し込む光や道路に落ちた影を撮るのが好きです。そういう私が好きな題材を、私より遥かにうまく撮っている写真、上位互換の写真がTwitterにはいくらでもある……。「もう写真、やめよっかなぁ」とすら一瞬考えました。自分は下手であるという事実と向き合わなきゃうまくならないのはわかっているけど、でも……。
で、待てよと。そもそも自分はうまくなるために、他人に評価されるために写真を撮っていたんだっけ? 撮るのが楽しいから撮る、それだけじゃなかったっけ?
自己満足では成長しません。ですが、もともと私はがんばって成長したいわけでもありませんでした。もちろん、今よりいい写真は撮りたいし、もうちょっとうまくなりたいです。でも、無理のない範囲で努力して、自分ひとりで「ちょっとうまくなったな」と満足できていれば(実際は上達していなかったとしても)、それでよかったはずでした。他の人にとってどうかはともかく、私にとって写真はそういう趣味なのです。(別にうまくないけどこれをやるのが好き、好きだけど超努力してうまくなりたいほどではない、って事柄、誰にでも一つくらいはあるのではないでしょうか?)
初めに書いたように、私は他人と自分を比較して落ち込みがちな性格です。評価がストレートに数として可視化され、人気の写真がどんどん流れてくるTwitterでは、自己満足で写真を上げ続けることはできそうにありませんでした。